先日の日記で、視力が不自由な方を誘導する目的で設置されている点字ブロックの上に、工事中だからという店側の勝手な理由でもって店の看板をはみ出させて置いていた店について触れたところ、思いのほか反響があった。
こうしたことに対して、コメントとして意見を堂々と述べることができる読者が増えてきているということは、ブログ管理者としても、かつて飲食業等のコンサルタントをしていた者としても、大きな喜びである。
私のつたない文面や真相に迫った表現力に乏しいことが原因で、記事自体がつまらないものであったかもしれないが、現段階で27個ものコメントが寄せられている。このブログは、過去のコメント数の推移に基づく私の勝手な推定ではあるが、1日平均5-8名ほどいらしてくださっているのではないかと思っているが、この数からすると、コメント数27個というのは極めて大きい。無論、悪戯コメントが何割かは含まれている可能性も無きにしも非ずにせよ、27個というのはこのブログでは実に大きな意味を持つ。
さて、この記事とコメントをプリントアウトして店に持参し、「お暇なときにご一読を」と主人に手渡してみた。そして、その後、店前を通りがかってみると看板は幾分か壁側に寄せられており、少しでもブロック上を空けようという努力が垣間見ることができた。壁側にこれ以上寄せるのは物理的にも無理であり、なお求めるのであれば、先方の迷惑を顧みずに通りの反対側に置いてしまうか、或いは営業を度外視して店の中にしまってしまうか、そのどちらかしか選選択肢はない。何はともあれ、少しは移動したということで、進歩といえば進歩と解釈されるであろうか。
その晩(夜中)、店主からメールが入った。あのマスターがメールを使えるとは思えなかったので、一種の驚き。マスターは直接コメント欄に書き込もうかと思ったようなのだが、どうもここのブログは重いためか、コメントを入れてもはじかれてしまったらしい。仕方なく、私にメールを送って、その文面を取り上げてほしいとの依頼があった。
ということで、最後に店主からの文面をコピー&ペーストで次に記して、この日記をひとまず終えることにする。なお、読者に読みやすいように、若干の誤字の訂正と段落改行の修正等を行ってある旨申し添える。
乙さん様、コメント主の皆様へ
どうもです。自分のところの店がここまで議論の的になっていたとは正直驚きました。逆に言えば、これだけお客様達は真剣に自分たちの店に在り方について考えてくださっているのかなとも思いました。インターネットの力ってすごいですね。
店の前の黄色い点字ブロックの意味は、知ってはいましたが、実際問題、深く考えることなく何気なく看板を置いてしまっていました。今は恥ずかしい思いと、お客様にそこまで考えてくださっていただいて嬉しい気持ちと半分半分です。
人の安全と商売の繁盛を天秤ではかってしまうことのないように、気を引き締めてがんばりたいと思ってますので、これからもよろしくお願いします!知らなかったではすまされませんよね。
店主拝
2006年10月31日
2006年10月25日
私が通わなくなる(かも知れない)飲食店
以前は頻繁に来てくれたのに、最近はメッキリ顔を出さなくなってしまった店がいくつかあるが、そのほとんどは懐が寂しいというのが主な理由であり、他意は全くない。機会があれば、いつだって行きたい気持ちでいる。ただ、単に懐が寂しいだけが理由ではない店も、ごく稀に存在する。最近、その最たる例に出会った。
主だった駅、バス停、交差点といった公共性のある場所やある程度整備された市街地でよく目にする視覚障がい者誘導用ブロック(通称:「点字ブロック」)。。。多くの読者もご存知の通り、この点字ブロックは、視覚が不自由な方がより安全に外を歩行できるために設置されたものである。かような役割を担うブロックであるため、この上にみだりに物を置いてしまうと誘導や注意の機能が失われ、これから進もうとする方向に関する情報が閉ざされてしまうことになり、思わぬ事故の原因にもなりかねない。
ある日、たまに通う店の前を通りがかった。フラフラと通ったのではなく、シラフで通りすがったわけである。その店の前の路面には、誘導用の点字ブロックが敷かれている。同店では店頭の部分が改築工事中?のため、普段なら店の入り口の直ぐ脇に置いている路面設置型の看板を、こともあろうに点字ブロックに大きくはみ出して置いているではないか。
同店の前はかなりの通行量があり、たとえ人間の背格好と比較すれば腰の高さまでしかない看板ではあっても、コンクリートの土台と鉄製の骨組みの作られており、視覚が不自由な方々にとっては大きな脅威となる。また、単にぶつかるだけではなく、一人がコケるとその直ぐ後ろの通行人までもが巻き添えを食らい、二重、三重の事故にも発展する可能性すらはらんでいるのも事実。
このようなことは、ある程度の熟考の習慣がある商売人であれば誰でも気づくはずである。ところが、人間というものは、自らの商売上の利益を優先させることに余念がなく、ついつい他人の迷惑を顧みない傾向にあるようである。当然、私も同じ立場であれば、同じようなことをしでかしていた可能性だって否めない。ならば、今まで通り通えば良いではないか、という意見もあろうが、それはそれで私の自由采配ということで。
ただ、肝要なのは、「自分だけはこんなことをしない」、「自分だけはあんなマネはしない」、と高をくくってしまわないこと。「まさか自分に限って…」という甘えと思い上がりを禁じ得ないこともあろうが、そんな自分の内面を直視する勇気と謙虚さを持ち合わせて生きたいもの。
このことは、頭で分かっていても感情で分かっていないから難しい。人間は感情で動きますから。。。「自分だけは…」という気持ちが、結局は、知らず知らずのうちに、隣人へのイジメなどの問題にもつながっているのではないかと思わされる。
主だった駅、バス停、交差点といった公共性のある場所やある程度整備された市街地でよく目にする視覚障がい者誘導用ブロック(通称:「点字ブロック」)。。。多くの読者もご存知の通り、この点字ブロックは、視覚が不自由な方がより安全に外を歩行できるために設置されたものである。かような役割を担うブロックであるため、この上にみだりに物を置いてしまうと誘導や注意の機能が失われ、これから進もうとする方向に関する情報が閉ざされてしまうことになり、思わぬ事故の原因にもなりかねない。
ある日、たまに通う店の前を通りがかった。フラフラと通ったのではなく、シラフで通りすがったわけである。その店の前の路面には、誘導用の点字ブロックが敷かれている。同店では店頭の部分が改築工事中?のため、普段なら店の入り口の直ぐ脇に置いている路面設置型の看板を、こともあろうに点字ブロックに大きくはみ出して置いているではないか。
同店の前はかなりの通行量があり、たとえ人間の背格好と比較すれば腰の高さまでしかない看板ではあっても、コンクリートの土台と鉄製の骨組みの作られており、視覚が不自由な方々にとっては大きな脅威となる。また、単にぶつかるだけではなく、一人がコケるとその直ぐ後ろの通行人までもが巻き添えを食らい、二重、三重の事故にも発展する可能性すらはらんでいるのも事実。
このようなことは、ある程度の熟考の習慣がある商売人であれば誰でも気づくはずである。ところが、人間というものは、自らの商売上の利益を優先させることに余念がなく、ついつい他人の迷惑を顧みない傾向にあるようである。当然、私も同じ立場であれば、同じようなことをしでかしていた可能性だって否めない。ならば、今まで通り通えば良いではないか、という意見もあろうが、それはそれで私の自由采配ということで。
ただ、肝要なのは、「自分だけはこんなことをしない」、「自分だけはあんなマネはしない」、と高をくくってしまわないこと。「まさか自分に限って…」という甘えと思い上がりを禁じ得ないこともあろうが、そんな自分の内面を直視する勇気と謙虚さを持ち合わせて生きたいもの。
このことは、頭で分かっていても感情で分かっていないから難しい。人間は感情で動きますから。。。「自分だけは…」という気持ちが、結局は、知らず知らずのうちに、隣人へのイジメなどの問題にもつながっているのではないかと思わされる。
2006年10月01日
再び戦争をする国に?
<2006年9月28日付、The Korea Herald誌より抜粋>
去る9月26日に安倍新内閣が発足した。
憲法9条の改正と教育基本法の見直しを大きな2本柱を掲げる安倍新総理は、小泉政権時代に崩壊された中国などのアジア外交の立て直しを主眼においているというが、このたびの新内閣の顔ぶれを見る限り、疑問が生じてくる。
前政権でアメリカに追随した形での自衛隊派遣や憲法9条改正などを支持した者が何名が見受けられるが、この顔ぶれで本気でアジア外交に取り組んでいく気があるのか疑わしい。。。加えて、安倍新総理は、靖国参拝についていまひとつ明確な回答を示していない。
自分と同調路線を行く連中で陣地を固めた、いわば自国政治内でトランプの戦争ゲームを展開しているような感も否めない。支持してくれる人ばかり周囲に配置してしまっては、マクロ的視野や反省する心が欠如する可能性さえある。耳の痛い忠告にも謙虚に受け入れる姿勢を公にせず、それで一国の首相が務まるかどうか…大いに疑問を呈したい。
わが国が世界に誇る憲法9条を変えて再び戦争ができる国にしてしまうことを、国民や世界はどのように感じているのか、謙虚さをもって耳を傾けていただきたい。教育の場で君が代や日の丸への崇拝を教師に強制したり、「お国のため」などという歪んだ大義名分の下に若い世代を戦地に送り込むような国に戻してしまっては断じてならない。
冒頭の写真は、9月28日付け「コリア・ヘラルド誌」からの抜粋。タイトルも「Japan gears up for rearmament」と大変ストレートな表現。これをアジアに屈したり妥協したりするなという声に乗じて単なる反日的な皮肉として受け流してしまうか、それとも謙って受け止めるか。
「妥協すること」と「謙虚であること」とは意味が全く違う。前者には常に当事者間で利害関係が生じるのに対し、後者は相手を選ばない。謙虚さとは、誰が誰に対しても持ち合わせることができるもの。決して、両者を差し違えることがあってはならない。



