
今や野毛ラーの間でも新語として市民権を得つつある「入毛」という新造語。。。この生みの親ともいうべき「住まいは海の近く」の管理人seikoMTD氏の素晴らしい発想力には正直、驚嘆の念を禁じ得ないものがある。この新語の定義付けや解釈を巡って、いくつかの主だったブログでも議論が重ねられている、というのはちょっと大げさだが、ふと定義とその語用について私なりに考えてみたくなった。
「入毛」はそもそも、「入る」という動詞と「野毛」という固有名詞を併せた造語で、凡そ単純に意味するところは「野毛に入る」といったものになる。これが転じて、飲食店が軒を連ねる野毛に入るという行動を、一般的には「野毛で飲食する」といった意味として捉えられているものと推察される。明治以降の断髪令や廃刀令に代表される「脱亜入欧」という思想があるが、「入毛」もこれと同じような経緯で編み出されたものなのかもしれない。周知の通りこの脱亜入欧は、当時、後進地域として考えられていたアジア(亜細亜)を脱し、列強な国々を擁する欧州の一員になることを目指した日本のスローガンである。下手に他の場所で飲むのであれば、野毛で飲んだほうが間違いない、という長年にわたる飲食体験に裏打ちされた氏の熱き思いが込められた新語なのであろう。
さて、この「入毛」、まずは国文法と音声学の見地から整理してみたい。品詞では何に属するであろうか。わが国の国文法では、名詞、数詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞、連体詞、副詞、接続詞、感動詞、助詞、助動詞と12種類に分類しているが、この中で言うと「名詞」ということになろう。名詞があるということは、ここから無理にでも「派生」させた動詞が存在していても不思議ではない。動詞の基本形の語尾によくある「…る」をつけて強制的に動詞をつくってみると、「入毛る」となる。かなり無理矢理だが、できないことはない。
となると、この新たに派生した動詞の読みは「にゅうもう・る」となる。が、残念なことにちょっと発音しにくい。便宜上、ローマ字で標記すると、音韻上は「nyu」「u」「mo」「u」「ru」と5音節に分けられる。第1音節「nyu」と第2音節「u」は実際には「ニュー」と長母音的に発音されるため、音節が一つ減って4音節と考えられ、「nyu-」「mo」「u」「ru」となる。これでも、まだ発音がし辛い。言語の経済性という考え方があり、例えばフランス語のリエゾンなどがその代表例。省略することで、少しでも簡単に発音しようとするのが人間である。最後の3音節を「もうる」ではなく、「もーる」にするのも手かもしれないが、そうすると、「ニューモール」となってしまい、あたかも「New Mall」で新しいショッピングモールでもできたのかと勘違いする野毛ラーもいらっしゃるに違いない。そこで、私が提唱したいのは、最後から2番目の「u」と省いて、「nyu-」「mo」「ru」、即ち「にゅーもる」と実際には発音できればいいのではないかと勝手に思ってしまっている。
仮に「入毛る」という動詞を、実際には「にゅーもる」と発音しつつも、ひらがなでは「にゅうもる」と表記するのであれば、語尾変化(活用)のパラダイムは次の通りにならざるを得ないとするのが自然の成り行きであろう。
基本形:入毛(にゅうも)・る
未然形:入毛(にゅうも)・ら、入毛(にゅうも)・ろ
連用形:入毛(にゅうも)・り
終止形:入毛(にゅうも)・る
連体形:入毛(にゅうも)・る
仮定形:入毛(にゅうも)・れ
命令形:入毛(にゅうも)・れ
入毛(にゅうも)・らず、入毛(にゅうも)・ります、入毛(にゅうも)・る、入毛(にゅうも)・るとき、入毛(にゅうも)・れば、入毛(にゅうも)・ろう、と立派なラ行五段活用の動詞であることが明らかになる。
では、実際の運用における意味の定義付けをみてみたい。私は基本的に「言語は生き物である」というスタンスをとっている。「ヤバい」という口語体の形容詞があるが、これは本来、法に抵触する恐れがあるとか、身に危険が降りかかることが予想される様を形容したものであり、「危ない」とか「危険な」といった語に置き換えられるものである。それにもかかわらず、今の特に若い世代における運用の現状をみると、「ヤバい」はもはや危ないという意味ではなく、「凄い」というむしろ肯定的な意味を持つ語として使われてしまっているケースが多いことに気付く。かように言語というものは、世間の大多数が誤って使ってしまうと、それが定着して使用者の間での市民権を得てしまい、最終的には本来の意味に取って代わってしまうといったケースが多々ある。
似たようなケースは他にもある。よく耳にするのが「確信犯」。今ではほとんどの人に、「悪いことと知っていながら罪を犯す人」と解釈されているようであるが、実の意味は全く違う。本当は政治的、思想的、宗教的な「確信」に基づいて罪を犯す人のことを意味するのであって、「知っててワザとやった」、といった軽い意味ではなく、むしろ、政治犯や場合によってはテロ組織をさすものとして使われる。この「確信犯」も、時の流れの中で次第に両方の意味が辞書に載るようになってしまうかもしれない。それはそれで言葉は生き物である以上、仕方がないことなのかもしれない。
さて、「入毛」だが、意味の定義は何であろうか。ごく普通に、横浜の台所といわれる野毛地区で物理的に行くこと自体を意味するのであろうか、それとも実際にその場での飲食という行為が伴わない以上は「入毛」とは言わないのであろうか。要するに、「入」の意味が、単なる物理的な接近や進入を意味するものなのか、それとも、同地区で何かしらを「体験・体感する」、地区に「溶け込む」、地区と「一体となる」といった意味までも包括するのか、といったことが論点になる。前者であれば、通りすがりの人でも「今日は入毛したぁ〜」ということができるし、後者であれば、野毛地区の店の多くが飲食店であることを加味すると、飲食や物品購入がない限りは単に「今日は野毛を通り抜けたぁ〜」という表現となろう。
いずれにせよ、新語「入毛」の生みの親であるseikoMTD氏がかなりの野毛通であると同時に、私が3人かかっても敵わない鋼鉄の肝臓の持ち主でであることを踏まえれば、解釈は当然、暗黙の了解として後者ということになる。飲食や物品購入があってはじめて「入毛」を使うに相応しい要件を満たしたことになる、と解釈して差し支えないのではないだろうか。だが、こればっかりは、ご本人に確認する必要があろう。
また、もう少し踏み込んだ解釈をするのであれば、野毛との一体感といった観点からすると、野毛に行き、飲食をし、そして野毛にまた来たいと思う、といった一連の行動と心理の連鎖が新語「入毛」の意味の根底を支えているといっても過言ではないのではないだろうか。入毛する彼ら(受け入れる側からすれば「来毛者」となろう)が、彼らなりに入毛して、満足のうちに帰途に就いてくれることが、究極の「入毛」となるのではないだろうか。入毛で満足を得るということは即ち、店側にとってもありがたい来毛者であるはず、という等式が成り立つはずである。
客の満足はいずれ店の満足につながる。。。非常にシンプルでありながら、ついつい忘れられてしまいがちな概念であるが、この「入毛」という新造語の解釈を通して、私なりにつたない思いを巡らせることができた。野毛の店とそこに集う客とをつなぐ「入毛」、実にしっくりとくる新語ではないか。多くの市民に使われ、いつの日か辞書に載るほどの市民権を得ることを切に願っている。