
〜画像:「Wikipedia, the free encyclopedia」より抜粋〜
今から十数年前のことだが、米国の北西部の広大なエリアを居住地としていたネイティブアメリカンの一部族、ネズパース族の女子大生と知り合ったことがある。あれはまだ私が23歳頃で、ユタ州の田舎にある大学院の修士課程で学び始めたばかりの頃。彼女との交流を通して、いろいろと学んだことがある。
彼女はネズパース族の大部分が住んでいるとされるアイダホ州の高校を卒業して、私と同じ学校に学部生として入学してきた。初めて親元を離れて学生寮暮らしを体験しのだという。キャンパス外で民間のアパートを借りていた私の部屋は、週末ともなると格好のパーティー会場の拠点となった。ある週末の夜、偶然知り合ったのが、ネズパース族の血を引くエキゾチックな顔立ちのこの彼女。
彼女を知るほどに、過去におけるネイティブアメリカンの屈辱的な歴史体験などを理解していった。彼女の家族は皆、ネズパース族以外の血がほとんど混ざっていないそうで、幼少の頃からも他人種との交流はあまり歓迎されていなかったとのこと。ただ、アジア人などには比較的寛容な態度を示すことがあったという。
ネズパース族は伝統的にネズパース語を話す。ただ、今の若い世代でネズパース語を操れるのは皆無に等しいという。一族伝統の言葉を後世に伝えるためにも、ネズパース族の評議会的な機関が、公式に言葉を伝えるプログラムを推し進めているという。当の彼女も、普段は母国語である英語を話すが、ネズパース語はいくつかの単語を知っているだけに過ぎない。
ネズパースは英語では「Nez Perce」とつづるが、本来の意味は「the People」である。人とのつながり、同じ種族との固い結束、独自の文化に対する強い愛着、といったことが由来にあるのではないかと想像してしまう。彼女の意外にも情熱的な一面を垣間見たり、或いは一見頑な態度と思いきや実はネズパース族の一員であることの誇りの裏返しであると判ったとき、自然のなかで大地にしっかりと足を踏みしめて暮らしてきた先祖からの伝統や文化が、若い彼女の世代にも脈々と受け継がれていることが窺い知れる。
ネズパース族の多くはキリスト教徒だという。自然のなかで神の見えざる手によって生かされているという事実を謙虚に受け止める姿勢には共感できるものがある。自然も人間も同じ創造物。旧約聖書には、人間が地球上のものをコントロールできるとあるが、これも単なる人間のエゴのために好き勝手に自然破壊を行っても良いということではないはず。コントロールするということは、そのものを大事にすること意味として含まれる。意のままに処分してよいということでは断じてないはず。
今、地球環境が危機に瀕している。今年の冬も異常なほど暖かく、首都圏ではほとんど雪ナシで終わってしまった。まだ2月なので、雪ナシとは断言できないものの、既に春一番も吹いているため、これから3月や4月にかけて積雪を記録することは、もはやあり得ないのではないかと思ってしまう。
人々の生活は自然との共存の上に成り立っているという考えは、いつの時代になっても色あせることはないのではないか。合理的な生活に慣れ、経済至上主義が当たり前になっている今こそ、自然環境への配慮を忘れ去れないようにすることが、現存の世代にとっての大きな課題であろう。