今日で9.11(米国同時多発テロ)事件発生から6年を迎える。
この事件は、軍事超大国として絶対的な存在感を有していたアメリカに対して実に大きな衝撃を与えた。実際に犠牲になった国民の数や物理的な損害のレベルに加え、特定のテロ集団や周辺支持国にそれほどまでに強い嫌悪感を抱かれていた事実の前に、米国民は大いに心理的に追い詰められたといえよう。
虚脱感と喪失感が蔓延するなか、米国民の間ではテロへの報復を肯定する世論が形成されていった。しかし、一部の良心ある国民からは、仕返しは悲劇と憎しみを繰り返すだけであり、必要なのは現実を受け止める勇気と冷静さであると強調する声も挙がった。反テロ運動と同時に、反報復運動やイベントも米国内外で開催された。
9.11事件で最も恐怖感を味わったのは、実際に事件に巻き込まれた人々やその周辺の住民を除くと、ブッシュ大統領かもしれない。事件後の会見でのあの恐怖に満ちた表情は全世界に対して発信された。恐怖を打ち消すがごとく、大統領は報復を決断、これに米国の将来を担うであろう多くの若い軍人が命を落とす結果となった。
報復は憎しみの連鎖を招くだけであることは実感を持って理解できたはずだが、首脳陣の心は頑ななまま。世論を利用して政治家としての保身に終始しているようでは、真の政治家とは言えまい。現実を直視する勇気と、自らの弱さを肯定する謙虚さこそが、米国のみならずどこの政府であろうと、今、政治家に求められている。
冒頭の画像は、私が良く利用している「WorldNew Network」での検索結果の画面。キーワードに「9/11」と入力し、検索ボタンをクリックした後の結果が無数にヒットしている。では、日本での報道はいかがか。Googleジャパンのニュース検索で、「9/11」や「9.11」で検索すると、それぞれのヒット数は僅かに36件と141件。一方、数日前まで世間を騒がせていた「朝青龍」だとヒット数は1,400件を越える。
日本のマスコミでは、戦争という世界を震撼させる一大問題よりも、上司にウソをついてサッカーに興じるスポーツ選手の動向を追いかけるほうが、報道の倫理に照らし合わせても遥かに大事であると考えられているとみえる。報道機関といえども、利益を追求する会社であることに変わりはない。読者が喰い付く記事を提供するほうが、会社の存続の面でも大事といえば大事。
記事そのもの質もさることながら、問題は、地球の裏側で起こっていることに対する読者の対岸の火事的な発想に基づく意識の希薄さにもあろう。この意識を改革するのも、報道機関としての役割の一つであることを忘れてはならない。



