「The Grotto」を訪れる多くの人が、祭壇への奉納のために販売しているロウソクを買い求める。ロウソク本体に願い事を書き込み、点灯して祭壇に奉納する。願い事とはいっても、自分のことだけではなく、家族や友人といった隣人に対する愛情に富んだ節が記されているのが特徴的。
「○○大学合格」、「美人になりますように」、「女の子にモテますように」、「お金持ちになりますように」といったものは、日本の寺社の絵馬でよく見かけるが、ここではその場限りで自分本位な祈願は皆無に等しい。あくまでも隣人への思いが主たる祈願の礎になっているという点で大きく異なる。「○○さんの痛みを分かち合えますように」、「自分がイラクに行くことがあっても、若い人が行くことがありませんように」、「隣人のために御名にかなうような行動がとれる人になれますように」といった具合。
このロウソク1本で、絵馬がいくつ買い求めることができるであろうか。結構な金額だったと覚えている。自分への祈願のためであれば多少の金額を投資しても絵馬を買い求めるが、他人のための祈願に対して高価なロウソクを買い求める日本人は多くはない。キリスト教が広く深く浸透している社会だからこそ、こうした粋な祈願ができるのかもしれない。
ただ、ここで気をつけなければならないことは、パウロも既に聖書にて警鐘を鳴らしている。パリサイ派的な祈りに通じるような善行は決してするべきではないと。。。おおよそ、人はこの世に実績を残したがるもの。そして、その実績を創造主ではなく人の目に留まることを執拗なまでに求めてしまう傾向にある事実にも、意識を傾注したい。他人に認められることばかりに固執することは必ずしも福音に沿った生き方ではないことを、被創造物である人間は推して知らねばならない。
ブッシュ大統領のイラク戦争のお陰でアメリカのイメージはガタ落ちだが、この国には隣人愛への畏敬の念はまだまだ奥深く根付いている。これこそが、アメリカを今なお魅力的な国としている大きな要因の一つなのではないだろうか。




